占領の開始

1945(昭和20)年8月末、アメリカ軍を主体とする連合国軍による日本占領が始まりました。
アメリカの占領目的は、日本が再びアメリカの驚異にならないよう、国家の体制をつくり変えることでした。日本政府は存続しましたが、その上にマッカーサー司令官が率いる連合国軍司令部(GHQ)が君臨し、その指令を二被音声夫が実行しました。

ポツダム宣言にもとづき、陸海軍は解散させられました。外地にいた軍隊は武装解除され、日本への復員が始まりました。
1946(昭和21)年からは、東京裁判(極東国際軍事裁判)が開かれ、戦争中の指導的な軍人や政治家が、「A級:平和に対する罪」などをおかした戦争犯罪者(戦犯)であるとして7人が死刑判決を受けるなどそれぞれ裁かれました。また、GHQは、戦時中に公的地位にあったものなど、各界の指導者約20万人を公職追放しました。

GHQは、日本政府に対し、婦人参政権の付与、労働組合法の制定、教育制度の改革などの五大改革を発しました。民主化とよばれたこれらの改革のいくつかは、すでに日本政府が計画していたものと合致し、矢継ぎ早に実行されていきました。また経済の面では、戦争中に大きな影響力をもったとして財閥が解体され、農村では農地改革が進められました。

日本国憲法

GHQは、大日本帝国憲法の改正を求めました。日本側ではすでに大正デモクラシーの経験があり、明治憲法に多少の修正を施すだけで民主化は可能だと考えていました。しかし、GHQは1946(昭和21)2月、わずか約1週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強く迫りました。

政府はGHQが示した憲法草案の内容に衝撃を受けましたが、それを拒否した場合、天皇の地位が存続できなくなるおそれがあると考え、やむを得ずこれを受け入れました。GHQの草案にもとづいて政府は憲法案をつくり、帝国議会の審議をへて、1946年11月3日、日本国憲法が公布されました(施行は1947年5月3日)。

日本国憲法は、世襲の天皇を日本国および日本国民統合の象徴と定めました。さらに国民主権をうたい、国会を国権の最高機関とし、議院内閣制を明記するとともに、基本的人権に関する規定が整備されました。また、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と、そのための戦力を持たないと定めたことでは、世界で他に例を見ないものとなりました。これとともに戦後の諸改革も進められました。

引用:『日本人の歴史教科書』自由社

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