但馬の幕末維新

1/2ページ

【たじまる】 桂小五郎潜居跡

「八・十八の政変」で京都を追われた桂小五郎は、但馬に潜伏します。 小五郎は対馬藩邸出入りの商人・広戸甚助の手引きで京を脱出、幕府方から逃れるために但馬の出石(兵庫県)や養父の昌念寺、城崎温泉の旅館にも住み込みで働いていたそうです。現在の国道426号線の但東町久畑にある京街道の久畑関所で、船頭を名乗る男が厳しい取り調べを受けていました。 調べに当たったのは出石藩の役人、長岡市兵衛と高岡十左衛門。同藩 […]

日本三大義挙 生野義挙

  • 2010.03.21

江戸時代後期の文久3年(1863年)10月、但馬国生野(兵庫県生野町)において尊皇攘夷派が挙兵した事件が起きた。「生野の乱」、「生野義挙」とも言う。 この静かな農村地帯であった但馬で、幕末にそのような大事件があったことは、くわしくは知らなかったので、調べてみることにした。 生野代官所跡 《概 要》 生野義挙(生野の変)は、平野国臣、長州藩士野村和作、鳥取藩士松田正人らとともに但馬で声望の高い北垣と […]

王政復古と鳥羽・伏見の戦い 学校で教えてくれなかった近現代史(21)

  • 2009.08.21

王政復古の大号令 徳川家茂の死後、将軍後見職の徳川慶喜は徳川宗家を相続しましたが、幕府の自分に対する忠誠を疑ったため、征夷大将軍職への就任を拒んでいました。5か月後の12月5日ついに将軍宣下を受けます。しかし、同月天然痘に罹っていた孝明天皇が突然崩御。睦仁親王(後の明治天皇)が即位しました。 翌慶応3年(1867年)薩摩藩の西郷・大久保利通らは政局の主導権を握るため雄藩連合を模索し、島津久光・松平 […]

小五郎但馬に潜む 学校で教えてくれなかった近現代史(17)

  • 2009.08.21

開国攘夷に傾く 蛤御門の変(禁門の変)が起きる2年前の文久2年(1862年)、藩政府中枢で頭角を現し始めていた小五郎は、これまで通り練兵館塾頭をこなしつつも、常に時代の最先端を吸収していくことを心掛ける。 兵学家で幕府代官江川太郎左衛門から西洋兵学・小銃術・砲台築造術を学ぶ 浦賀奉行支配組与力の中島三郎助から造船術を学ぶ 江戸幕府海防掛本多越中守の家来高崎伝蔵からスクネール式洋式帆船造船術を学ぶ […]

【但馬の歴史】 幕末の但馬(2) 生野の変

  • 2009.08.21

  ↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。 江戸時代後期の文久3年(1863年)10月に但馬国生野(兵庫県生野町)において尊皇攘夷派が挙兵した事件が起きました。「生野の乱」、「生野義挙」とも言います。 1716年(享保元)、生野奉行を生野代官と改称します。但馬は石見・佐渡と並ぶ幕府の三大鉱山として栄えた生野銀山を筆頭に、明延、神子畑、中瀬、阿瀬等の金・銀などを産出する鉱山が各所に […]