但馬の近現代

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100年の夢、氷ノ山越え1

  • 2000.11.20

[catlist categorypage=”yes”]●旧山陰道の最短ルート 氷ノ山トンネル 神戸新聞連載「100年の夢」の記事に、「戦国時代末期の天正三(一五七五)年、薩摩藩主島津家久の叔父中書家久は京や伊勢の神社仏閣にもうで、帰路山陰路をとった。六月十五日の日記の記述に「やなせ(山東町梁瀬)」「たかた(和田山町高田)」を通り「八木殿の町(八鹿町八木)に着」とある。翌日は「ひほの山(氷ノ山)」 […]

100年の夢、氷ノ山越え3

  • 2000.11.19

●氷ノ山越えと但馬鉄道計画 またそれは別に大正初期に宮津から若桜までの当初の山陰本線最短ルートを実現させようと考えた、とんでもない人物が、「大正の大風呂敷」と言われた我が日高町(当時日高村)だった故藤本俊郎村長である。彼はすでに営業されていた出石軽便鉄道(現存せず)の株主の一人であり、さらに江原駅から村岡へ抜ける鉄道敷設を計画して、江原駅を東西南北を走る交通の要所にしたいという構想である。実際に近 […]