生野義挙(生野の変)

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5 生野本陣解散

  • 2012.01.03

生野本陣破陣 10月12日午後10時、 ●多田弥太郎 南らを説得できず、諦めた多田弥太郎は黒田興一郎と共に沢卿のいる生野の陣営に戻り、沢卿に但馬脱出を勧めた。各部署巡視の名目で逃走した沢卿のために、「軍備を整え再挙を謀らねば大和と同じ運命を見る」との意見に一致し、断腸の思いで解散した。

3 挙兵

  • 2010.12.19

十月十一日 沢卿一行は生野へ入る 十月十一日 沢卿一行は生野へ入る。 屋形村で合流した沢卿一行は生野街道を北上し、午後2時ごろに森垣村の延応寺に到着した。一行は京都の姉小路五郎丸とその主従であると言い、延応寺を休息所として利用した。この日のことをあらかじめ本多素行が住職に話をつけてはいたが、野袴を着け、長刀を銃砲を持った一行の威容に驚いた。 さっそく寺に乗り込み、やがて中島太郎兵衛、太田六右衛門ら […]

6 終結

  • 2010.12.19

生野義挙終結まで 10月14日 山伏岩の自刃 「山伏岩(自決岩)」 山口護国神社内 文久3年(1863年)10月14日 そのころ、小河吉三郎(大川藤蔵)は養父郡能座村のサケジ谷(朝来市山内)というところにいた。伊藤龍太郎が妙見山の南側の陣に行く前に、小河は南らと共に妙見山にいる同藩の川又左一郎を訪ねた。午前5時頃に沢卿本陣脱出の噂を聞いた小河は、川又にこれを伝えたあと、南に下山の説得をしたのだった […]

4 生野代官所占拠

  • 2010.12.19

10月12日 生野代官所占拠 生野代官所跡(朝来市生野町口銀谷) 午前2時、陣容が整うと直ちに出陣の用意に取り掛かった。物々しい様相に丹後屋太田治郎左衛門は代官所に注進した。これを聞いた元締武井庄五郎はただちに密使を出石に差し向けた。 やがて、南八郎の率いる少壮派たちは代官所を包囲した。役人どもが歯向かうようなら切り捨てる気構えであったが、婦女子には一切手荒な真似はしないように言い伝えた。やがて表 […]

2 生野義挙への動き

  • 2010.04.01

生野義挙(生野の変)への前夜 文久3年(1863年)8月、吉村寅太郎、松本奎堂、藤本鉄石ら尊攘派浪士の天誅組は孝明天皇の大和行幸の魁たらんと欲し、前侍従中山忠光を擁して大和国へ入り、8月17日に五条代官所を襲撃して挙兵した。代官所を占拠した天誅組は「御政府」を称して、五条天領を天朝直轄地と定めた(天誅組の変)。 また、この義挙は大和で挙兵した天誅組に呼応してのものだったが、ともに天領であり代官所の […]