丹後

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丹後の巨大前方後円墳

  • 2015.12.14

丹後の巨大前方後円墳と池田古墳 [catlist id=587] かつては丹波(道)が丹波・但馬・丹後に分立するまで、丹波の中心が日本海に面した丹後地域だった。なぜ水稲稲作が人口拡大を進めるまでは、人びとは海上ルートを利用して交易をしながら、安全な丘陵や谷あいに集団で暮らし始めた。丹後に巨大な前方後円墳が多く造られた背景は何だったのだろう。 記紀は、実際の初代天皇といわれている崇神天皇と皇子の垂仁 […]

丹後国分寺跡と丹後国府推定地

  • 2010.04.02

古代丹波 かつては丹波(たにわ)が丹波・但馬・丹後に分立するまで丹波の中心は日本海に面した丹後半島地域だった。水稲稲作が人口拡大を進めるまでは、人びとは海上ルートを利用して交易をしながら、安全な丘陵や谷あいに集団で暮らし始めた。丹後に日本海側最大の巨大な三大前方後円墳などが多く造られた背景は何だったのだろう。 記紀は、実際の初代天皇といわれている崇神天皇と皇子の垂仁天皇と四道将軍の派遣、丹後からの […]

【新設丹後史】 開化天皇と古代丹波

  • 2010.03.07

『古代史の真相』 著者: 黒岩重吾 『古事記』、また後に『日本書紀』となる『日本紀』を天武が作らせた目的は、天皇の現人神(あらひとがみ)化と、万世一系による天皇家の絶対化です。そこで天武が最も嫌ったのは、氏族が違う大王家(天皇家)が並列することであり、大王家を凌駕しかねない勢力の存在だった。こういう天武の思想の下、四世紀の一時期、大王家と婚姻を重ね崇神王朝と並立していた葛城氏の首長たちの名は容赦な […]

【新説丹後史】 神殿と神政王権の出現

  • 2010.03.05

『倭の古王国と邪馬台国問題上』 著者: 中島一憲 ※中島の原文は「神聖王権」だが、拙者は太古の政治は神を崇めるマツリゴトから発生し政治の中心を占めていたことから、関裕二氏が使用している「神政王権」に統一する。 邪馬台国が九州説と大和説が二分している。拙者はひとまずそのテーマには距離を置いている。というのも邪馬台国が天皇を大王とするヤマト王権に移行した可能性は低いと思っている。(私は無関係だと思うの […]

【新説丹後史】 丹後の巨大前方後円墳と前方後円墳国家

ヤマト政権が統一に向かうまで、旧石器、縄文、弥生時代といっても1万年以上にも及ぶ、記紀編纂から今日までの約千四百年をはるかに上回る膨大な年月である。 弥生時代、日本海に面した出雲、伯耆、丹後などに諸勢力が形成されていった。それはどのように半島南部との交易を行っていたのだろうか。近年、青森の三内丸山遺跡、出雲一か所でこれまでの全国で見つかった総数を上回るような大量の銅剣・銅鐸が見つかり、吉野ヶ里遺跡 […]

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