目 次
  1. 道州制
  2. 北近畿の地方自治
  3. 近畿地方の地方自治

さて、いま「三位一体改革」による地方分権を進めようとしていますが、地方への財源と権限の保障が曖昧であるため、地方公共団体からは「『地方主権』『自治型社会の実現』からは程遠い」と指摘する声も少なくありません。

また、

1.道州制

道州制を考える際には、「現行の都府県より広域の地方公共団体をどう設置するか」が論議される事になります。道州制の論議は今に始まったことではなく、明治維新までにおける、現行の都府県より広い地域を統治した広域行政体やその範囲の変遷は、大雑把に以下のようになっています。

  • ヤマト王権による統一以前には、各地の国造を初めとして、地方豪族の分立状態であり、必ずしもこれらの広域な国全体が一体的統治をされていたわけではない。
  • ヤマト王権によって統一国家が形成された時代(律令制の時代)
  • 戦国大名による一円知行
  • 江戸時代の幕藩体制
  • 明治の廃藩置県明治政府は、地方の反乱が相次いだために、県より広い行政体の設置には消極的であった。しかし、人口希薄などを理由として、北海道にあった3県を廃止して、北海道庁 (1886-1947)を設置した。以降は台湾総督府、樺太庁、朝鮮総督府、南洋庁と順に設置された事で、府県の狭小さが経済統制の障碍と考えられ、内地を統轄する内務省下に、郡制廃止とともに複数の府県を包括する広域行政体の設置が議論され、田中義一内閣の行政制度審議会が、1927年に、全国を6箇の州に分けて、官選の長を置く「州庁設置案」を内閣に提案した。ここでの州名は、州庁所在都市名を取った物になっている。仙台州、東京州、名古屋州、大阪州、広島州、福岡州
  • 1940年にこの提案の実際の措置として、府県行政を調整し、広域行政体を統合しようとした。「国の出先機関」の様相を強く持っていた。また、戦時下(特に地方総監府時代)には、本土決戦に備えた行政の効率化という側面も有していた。
    また、戦時統制経済のもとでは、各地の鉄道・電力・ガスといったインフラを中心に企業が、政府主導で統廃合された。
  • 太平洋戦争後の改革において、物資不足から引き続き経済統制の必要性と地方自治法により国の知事への統制が制限された。都道府県のブロック化が強まる懸念と区域の狭小さの点から、1948年の行政調査部により、地方行政庁案・道制案・州制案の3案が提案された。
  • 1955年には、関西経済連合会が、府県の廃止と、国の総合出先機関としての道州制を提案した。また、1957年の第4次地方制度調査会は「地方制」案を答申した。この地方制は7地方・8地方・9地方案であった。
  • 高度経済成長期(1960-70年代)には、地方から都会への出稼ぎや集団就職で人口が工業地帯へ移ったことによって、過疎・過密の問題が生まれた。この時期から貨物量の急激な増加や通勤・通学の長距離化や季節要因での大規模移動が発生し、地方毎の広域の社会資本整備の必要性から道州制論議は存在していた。大都市圏とそこに含まれない地方の道県との間では、所得や生活基盤に格差が生まれており、地方交付税などで是正できる程の税収を持ち合わせていなかったため、予算規模の拡大を目指し、いくつかの県が合併する道州制が考えられた。
  • 1989年から1992年にかけて臨時行政改革審議会が置かれ、都道府県の広域連合とともに道州制の検討を答申した。
  • 1994年には地方自治法改正により県の広域連合が制度化された。国会においても地方分権の決議が採択され、道州制の論議が高まることとなった。
  • さらに2004年の地方自治法の改正により、都道府県の合併が申請によって可能となった。
  • 第28次地方制度調査会は、2006年に「道州制のあり方に関する答申」をおこない、都道府県の廃止と新設となる道州による道州制導入を打ち出した。道州には9道州・11道州・13道州の3例。
  • 2006年に道州制特区推進法を公布した。
  • 2007年9月21日、政府の道州制ビジョン懇談会において江口克彦座長(PHP総合研究所社長)は、東京23区と大阪府を特別州とし、東北・北信越など全国を12道州に分ける私案を公表した。 日本は古くは律令制からすでに中央集権化が進んでおり、連邦制もしくは連邦国家を形成するにはふさわしいとは思えません。イタリアの5つの特別自治州のように、明治から北海道、沖縄に関しては暫定的に特別自治州的な優遇政策処置をとってきた。道州制論議(道と州を置く地方行政制度。北海道以外の地域に複数の州を設置し、それらの道州に現在の都道府県より高い行政権を与える構想を指す。)も、首都の政財界(諸井虔など)が区割りを勝手に決めている状況であり、財源と権限に関する論議が行われていません。もともと、君主国や都市国家、あるいは主権国家が統合して国家を形成した連邦国家とは異なり、中央から自治を区分する形態は分権であり主権ではありません。「地方分権」という場合、平成期の日本のように、中央政府が指揮命令権を持ったまま、地方を「出張所」として仕事を投げ売りするケースも起こり得るといわれています。このように、地方統治の合理化としての「地方分権」は、「中央分権」と揶揄されることもあります。明治維新で廃藩置県が行われ、再三の統廃合が中央から実施されました。「地方分権」や「地方主権」といっても、同州制もただ県の範囲を拡大した併合であっては、基礎自治体(市や村)が主体なのか、県が主体なのか、道州が主体なのか、というように、どの規模の地方自治体が主体性を持つかによって、意味合いも異なるのです。一方で、国は「小さな政府」と称しつつ、地方への統制の強化と合理化を進めている。これは、市町村を大量に削減し、次いで広域自治体である県を大量に削減しようという発想としての道州制で、中央集権の強化という色が濃い。政府の道州制論議や、その前段階の三位一体の改革では、国の行政機関・機能・財源を都道府県に委譲するのを拒み、都道府県や市町村の「住民自治」の部分のみを「小さな政府」として、国は依然として統制権の強い「大きな政府」に留まろうとする意見が散見されるために、全国知事会では反発がある。それに対して大阪府のように他の政令指定都市では、府県と市との二重行政の弊害が指摘されている。国に政治機能を残して都府県の上に新たに州を設置すれば、「地方分権」は、「中央分権」をさらに複雑化するデメリットを指摘される。戦前から道州制議論はすでに続いてきており、一極集中と地方衰退、人・財・時間などの無駄をまねいている弊害は、誰もが認めるところです。とくにEUヨーロッパ諸国の国家主権や地方分権がどのようなウエイトかはくわしくはわからないものの、現代では国際関係行政区分の階層は無駄を省き、単純化することが最善である。

    2.北近畿地方の地方自治


    まるごと北近畿北近畿広域観光連盟の画像をお借りしています。 律令制の「山陰道」として丹波・丹後・但馬という地域をもう一度考察してみたいと思います。古くから日本海側に出雲から北陸にかけて朝鮮半島との交流文化圏を形成してきました。また、都に近い(近国)ために大陸との経由地点として交流がさかんでした。 したがって、古代には若狭・丹後・但馬・因幡、さらに出雲・越国も含めた広域な出雲文化圏を形成していました。歴史風土的に似た面が多く、また、若狭・丹後・但馬は、五畿(山城・大和・河内・和泉・ 摂津)との影響も受けやすい近国と位置づけられ、独自色が薄く強固な基盤を持ちにくいといえます。

    廃藩置県後、若狭は当初滋賀県に、のち福井県に、丹後・丹波・但馬は豊岡県に、のちに丹後・丹波(北東部)は京都府に、但馬・丹波(南西部)は兵庫県にとそれぞれ分かれており、交通面で山陰本線でも横との直通運行はなくなり、連携は少なくなっています。

    福井県の場合

    仮に道州制が施行された場合、福井県の所属について地方制度調査会(所在地:東京都区部)による区割り案は、9道州の場合は関西州に、11道州及び13道州の場合は北陸州、また、「熱論・合州国家日本」に掲載されている区割り案では、大前研一案が北陸道、平松守彦案が関東信越州、江口克彦案が信越北陸州とされている。 明治初期には約4年半の間、嶺北は石川県、嶺南は滋賀県だった。

    2006年3月1日、河瀬一治・敦賀市長は、新年度当初予算案発表会見の中で道州制について触れ、以下のように発言した。

    • 「嶺南の総意は近畿(関西)に入る事。嶺北が北陸に入るならば縁を切る事もある。」
    • 「文化圏や今秋(2006年秋)のJR直流化など、嶺南は近畿に近い。嶺南だけを見れば当然、近畿。県も経済的な繋がりが深い近畿に向いているだろう。嶺北が北陸に入るとなれば、縁を切って、お別れという事になる。」次いで、同年3月6日には、村上利夫・小浜市長も、市議会の所信表明で道州制について触れ、以下のように発言した。
    • 「福井県が関西と圏域を一にする事を強く主張する。少なくとも小浜市や嶺南が北陸に属する事はあってはならない。」
    • 「道州制は、東京一極集中を是正する動機になるやもしれぬと期待している。国と県で論議されるべき問題だが、地域割りについては市町村として決して看過できる問題ではない。自治体としての意思表示を明確にすべき時だ。」鳥取県の場合財界では、中国地方5県で一組の州とする「中国州」を提唱している。鳥取県においては鳥取市の経済界を中心に「関西州」への編入を求める声も上がってきている。一方で県西部の米子市などでは道州制導入に際し、島根県松江市などと合併して「中海市」を設ける考えが以前から存在しており、東・中部と西部の間で意見のずれが生じている。また、平井伸治鳥取県知事は近畿ブロック知事会への参加を表明、2008年6月6日、正式に加入が認められたことから県内の道州制論議に何らかの進展をもたらす可能性がある。

      近畿地方

      近畿ブロック知事会では、道州制を拒否している井戸敏三・兵庫県知事以外にも、西川一誠・福井県知事が道州制に反対する意見を出しており、山田啓二・京都府知事も道州制に対して慎重な意見を出している。

      2004年6月30日には、京阪神の経済団体から、近畿2府6県(福井県・滋賀県・京都府・三重県・奈良県・和歌山県・大阪府・兵庫県)に、四国の徳島県を加えた広域行政体の設置を求める提言が出されており、州庁の組織や行政運営に留まらず、州の様々な設置方法も提案されている。

      2007年9月21日、政府の道州制ビジョン懇談会において江口克彦座長(PHP研究所社長)は、東京23区と大阪府を特別州とし、東北・北信越など全国を12道州に分ける私案を公表した。

      また、中国地方では、財界では、中国地方5県で一組の州とする「中国州」を提唱している。鳥取県においては鳥取市の経済界を中心に「関西州」への編入を求める声も上がってきている。一方で県西部の米子市などでは道州制導入に際し、島根県松江市などと合併して「中海市」を設ける考えが以前から存在しており、東・中部と西部の間で意見のずれが生じている。また、平井伸治鳥取県知事は近畿ブロック知事会への参加を表明、2008年6月6日、正式に加入が認められたことから県内の道州制論議に何らかの進展をもたらす可能性がある。

    3.近畿地方の地方自治

    近畿ブロック知事会では、道州制を拒否している井戸敏三・兵庫県知事以外にも、西川一誠・福井県知事が道州制に反対する意見を出しており、山田啓二・京都府知事も道州制に対して慎重な意見を出している。 2004年6月30日には、京阪神の経済団体から、近畿2府6県(福井県・滋賀県・京都府・三重県・奈良県・和歌山県・大阪府・兵庫県)に、四国の徳島県を加えた広域行政体の設置を求める提言が出されており、州庁の組織や行政運営に留まらず、州の様々な設置方法も提案されている。

    2007年9月21日、政府の道州制ビジョン懇談会において江口克彦座長(PHP研究所社長)は、東京23区と大阪府を特別州とし、東北・北信越など全国を12道州に分ける私案を公表した。

    また、中国地方では、財界では、中国地方5県で一組の州とする「中国州」を提唱している。鳥取県においては鳥取市の経済界を中心に「関西州」への編入を求める声も上がってきている。一方で県西部の米子市などでは道州制導入に際し、島根県松江市などと合併して「中海市」を設ける考えが以前から存在しており、東・中部と西部の間で意見のずれが生じている。また、平井伸治鳥取県知事は近畿ブロック知事会への参加を表明、2008年6月6日、正式に加入が認められたことから県内の道州制論議に何らかの進展をもたらす可能性がある。

    出典: 「政治学入門」放送大学客員教授・慶應義塾大学教授 小林 良彰・河野 武司
    放送大学准教授 山岡 龍一
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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